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大阪高等裁判所 昭和52年(う)1064号 判決 1978年5月25日

被告人 藤井啓太郎

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中谷鉄也作成の控訴趣意記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は要するに、被告人は上中車が八五メートルの地点に迫つて来るのを認め、同車の時速は指定最高速度の五〇キロメートルぐらいだろうと判断し、右折を続行したのである。何人も右現認時点で上中車が時速八〇キロメートルを越えて暴走して来ることを予想したり確認したりすることは不可能である。被告人は自動車運転者としての注意義務を尽したのであり、なかんずく上中車の暴走速度を確認した後の被告人の措置は適切である。本件事故の原因は制限速度五〇キロメートルであるのに、上中車が暴走速度で進行したことにあり、殊に同車が交差点に進入後は被告人車は静止しているのであるから、前方を若干でも注視し、減速すれば当然避けえた事故であり、わずかでもハンドルを左にきれば容易に回避できた事故であつて、被告人には何ら注意義務に欠けるところはない。したがつて、被告人が注意義務を怠つたとする原判決には事実の誤認がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果を総合して検討する。

まず、関係証拠により次の事実が認められる。すなわち、本件事故が起きたのは、国鉄和歌山駅から西方へ市街地を貫通するアスフアルト舗装の平坦な県道を西方へ約八〇〇メートル進んだ地点で、南北に通ずる道路とが四隅を角切りした十字型で交差する約四〇メートル四方の広い交差点内である(以下「本件交差点」という)。交差点の東方道路は歩・車道の区別があり、車道の幅員は三九・五メートルで、中央に分離帯があり、南側西進車線の内にさらにグリーンベルトがあつて、中央分離帯とグリーンベルトの間の三車線の有効幅員は一〇メートルであり、グリーンベルトから歩道まで幅員六メートルの緩速車線がある。交差点西方道路は、東方道路と同様幅員三九・五メートルで、中央に分離帯があり、北側東進車線の状況は東方道路の南側西進車線のそれと同様である。交差点の北方道路及び南方道路は歩・車道の区分があり車道の幅員各一二・二メートルである。本件交差点は、信号機により交通整理が行われており、東西道路の指定最高速度は時速五〇キロメートルである。本件道路及び交差点付近は、街路燈などにより夜間も明るく見通しがよい。なお本件事故当時、天候は晴で路面は乾燥していた。

被告人は、昭和四九年三月一五日午後九時五〇分ごろ、被告人車(車長四・二メートル、車幅一・五九メートル)を運転して本件交差点を西から南へ右折しようとして、交差点手前約三〇メートルで右折の合図をし、時速約三〇キロメートルで東行青信号に従つて本件交差点に進入すべく停止線を越えて横断歩道上に達した。司法警察員作成の昭和四九年三月二九日付実況見分調書に添付された交通事故現場見取図(以下、単に「現場見取図」という)の<B>の位置である。その際、被告人車から約八五メートル東方(現場見取図<1>)に対向車線の第二通行帯を西進中の上中車(車長三・九四メートル、車幅一・三四メートル)を認めたが、同車の通過に先立つて右折を完了することができると判断し、右<B>点からアクセルペタルを離し時速約二〇キロメートルに減速しながら約八メートル進んだところから右折を開始し、右<B>点から一一・一メートルまで進行した現場見取図<C>点(交差点の東西の仮称中央線より被告人車の右前部までの距離は南へ一・八メートル)に達したときに意外にも上中車が東方約三五・四メートルの同図<イ>の地点(交差点東詰横断歩道手前)から時速約八〇キロメートルで迫つて来るのを認め、危険を感じて急制動の措置をとり四・五メートル進んだ自車の進行方向に対し斜め右に第三通行帯の中程と第二通行帯の中程にまたがつた現場見取図<D>の位置(前記中央線より被告人車の右側前部までの距離は南へ五・四メートル)で停車したところ、被告人車の左側前部(前記中央線より被告人車の衝突箇所までの距離は南へ四メートル)と上中車の左前部とが衝突し、その衝突により上中と上中車の同乗者が原判示の傷害を負つた。一方、上中車は、<1>の位置を時速約八〇キロメートルで西進中<B>点に交差点へ進入しようとする被告人車を認めたが、<C>点で停止し、上中車を優先進行させてくれるものと思つて約三七メートル(記録二七丁の測量図面より算出)西進し、<イ>点に達したとき被告人が<C>点からさらに右折進行して来るのを認めたが、速度の関係で左に転把することができず、急制動の措置をとつたが三〇・九メートル進んだ地点で衝突したものである。

被告人は、原審及び当審において、<B>点において<1>点に上中車を認めたときの上中車の時速はわからないとか、制限速度の五〇キロメートルぐらいと思つたとか供述しているが、一方、当審において、事故現場の道路を毎日のように通つていて、現に本件事故当時も勤務先から帰宅する途中で通りかかつたものであり、そのころ本件の道路を走行する自動車は制限速度を越えて五五キロメートルから六〇キロメートルで走ることは普通で、時には七〇キロメートルから八〇キロメートルで走る自動車を現認している旨供述していること、また、司法警察員に対し、<B>点において<1>点付近を西進中の上中車を認めたときの同車の時速は八〇キロメートルぐらいに感じた旨供述していること、さらに原審において裁判官が右供述について質問したことに対し、「警察では漠然とその位と思つて述べましたが……」と供述していることなどの点を総合すれば、被告人は<B>点において、<1>点から時速約八〇キロメートルで進行して来る上中車の前照燈を認めた際に、同車の正確な時速はわからなかつたとしても、少くとも指定制限速度を時速一〇ないし二〇キロメートル越える程度のいわゆる通常の速度よりもかなり速い速度であることはわかつていたものと考える。

以上のような本件道路及び交差点の形状、状況、被告人の目撃した上中車の前記走行状況等諸般の事情のもとにあつては、被告人は前記の如く被告人車を運転して午後九時五〇分ごろ東行青信号に従い本件交差点を右折しようとして横断歩道上(前記<B>の位置)にさしかかつた際に、対向車線上前方約八五メートル(前記<1>の位置)に西行青信号に従い本件交差点に向つて前述のような速さで直進して来る上中車を認めたのであるから、このような場合、同車が指定制限速度を時速三〇キロメートル程度超過したまま交差点へ突入して来る異常な事態のあることを予測して同車との接触、衝突事故を避けるために、常に同車の動静を注視して同車までの距離及び速度を判断し、さらに自車が同車の進路上を通過し終えるのに要する時間を考慮しつつ自車が同車の接近に先立つて右折進行を完了しうることを確認したうえで右折進行し、そうでないことがわかつた時点で同車の通過を待つために少くとも同車の進路上の手前で一時停止し、同車が通過するまで一時右折進行をさし控えるべき注意義務を負うているものというべきである。

被告人は右の如き業務上の注意義務があつたのであるから、同車の動静を注視すべきであつたのであり、そうすれば、<C>点において<イ>点の上中車を認める以前に同車の速度及び距離の的確な判断ができ<C>点付近に停止して、未然に事故の発生を防止することができたのである。(もつとも、上中車が制限速度である時速五〇キロメートル以下に進行して来ていたならば、被告人車は上中車に先行して右折進行することができる見合関係にあつたと考えられる。)しかるに、被告人は上中車の動静を注視する義務を怠つた結果<C>点にまで深入してそこで意外にも<イ>点に時速八〇キロメートルで迫つて来る上中車を認め、はじめて危険を感じて制動措置をとつて<D>点で停止し、上中車と衝突したことが明らかであるから、被告人には上中車の動静を注視する義務を怠つた過失責任を免れることができないといわねばならない。

したがつて、被告人の過失を肯認した原判決には所論のような事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 矢島好信 山本久巳 久米喜三郎)

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